【読書】圧倒的文才で見たくないところまでくっきり描かれる『静かに、ねぇ、静かに』本谷有希子
愛聴しているラジオ番組アトロクに本谷有希子さんが出演されているのを聴き、話があまりにも面白かったので購入。
本谷有希子さんは「劇団、本谷有希子」を主催する劇作家・演出家でもあると同時に小説家でもあり芥川賞をはじめ三島由紀夫賞など様々な受賞歴のあるウルトラ才人。
話し方はとてもやわらかいのに作り出す舞台、小説はとにかく人の、というか自分の嫌なところをこれでもかと見せつけてくるエグいものが多い。
今回の『静かに、ねぇ、静かに』は3編の中編からなる作品。
帯には「本谷有希子が描くSNS狂騒曲」と銘打たれているけど、この本はSNSというよりも自分以外の社会との折り合いがつかない人たちの話ではないかと感じた。
1本めの「本当の旅」は3人の自意識をこじらせた40代男女のマレーシア旅行記。
常にオンラインに自分たちを映すことで現実を綺麗に加工して実況中継しないと生きていけない人たちの物語。じわじわと不穏な現実が迫ってきているのに目を背けて、オンラインで現実にポジティブな加工を繰り返すけどやがてそれが追いつかなくなり現実に追い越されてしまうという話。
劇中の人物たちはポエムチックなステキな台詞を吐き続けて、3人の中だけで承認し合う。
「これでなんか言った気になってるの?」と登場人物たちの台詞にイライラすると同時に、自分にもこういうとこあるよなぁ、とブーメランで自尊心がボロボロになっていって痛い。
2本目「奥さん、犬は大丈夫だよね?」はレンタルキャンピングカーで旅行に行くことになった2組の夫婦の話。ネットショッピング依存症になっている奥さんの目線で語られる。
奥さんは夫に対して何も期待していないし、そもそも夫を必要としているかもわからない。
ネットショッピングを通じてしか、なにかを必要であるということを実感できない。
夫が遭遇してしまう悲劇さえ実感できず、悲劇を通じて生じる「必要なものができる」ということに冷たい期待をしてしまう。
3本目の「でぶのハッピーバースデー」も夫婦の話。「でぶ」という名で呼ばれる奥さんの目線で語られる。
40代ほどと思われる夫婦は勤め先が倒産したことにより、夫婦同時に失業する。
この物語は希望とか絶望すらも諦めてしまった人たちの話。1・2本目の主人公たちがやがて辿り着いてしまうであろう場所を語っているよう。
静かな話だった。
静かで、恐かった。
なにもかもを諦めた先にある風景を見てしまったような感覚に襲われた。
この本のどの作品も徹底的に、加工されていない恐ろしいまでに鮮明な人生を突きつけてくる。
見たくないものがくっきりと描かれているので読んでいる途中は陰鬱になるけれど、3編全て読むとなぜか心地よかった。体力に余裕があるときに読むのがおススメです。
【舞台】(若干ネタバレ含むため観劇後にお読みください)Dr.MaDBOY『月極セイラ ゴールデン★ベスト』
(若干ネタバレ含むため観劇予定の方は観劇後にお読みください)
【観劇記録】Dr.MaDBOY『月極セイラ ゴールデン★ベスト』@スタジオ空洞
鑑賞日時:2018年10月7日12:30−
80年代歌謡曲レコードを模したフライヤーのセンスの良さが気になっており観劇。
====あらすじ====
かつて数曲のヒットを時代に刻み、この世を去った歌手「月極セイラ」
その瞬きは彗星の如く尊いものだったが、昨今のレコードリバイバルの流れに乗り、
初のベストアルバムがリリースされることに。
これに際しWEBマガジン「サテライト」はかつての関係者にインタビューを決行。
セイラが生前別荘としていたペンションに関係者を集める。
盛り上がる雑談。進まないインタビュー。
そんな中、関係者のひとりが遺体となって発見される。
遺体には目立った外傷も無く、争った形跡も無かったが、
館内には、誰もかけた覚えのないセイラのデビュー曲が響き渡っていた…。
(公式webより http://dr-madboy.tumblr.com/info )
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舞台上にはソファー、テーブル、電話機、間接照明などペンションのリビングを表す舞台装置がいくつか置いてある。
お話は月極セイラというアイドルがどんな人生を辿ったか関係者とのエピソードが描かれると同時に懐かしい歌謡曲のミュージカルシーンが挿入される。
舞台上に出てくる月極セイラは5人おり年代別に誰が演じるかも変わる。フライヤーに載っているモデルさんとも別であり、あくまでそれぞれの記憶にいる彼女の姿を舞台上に表していると理解した。
簡単な舞台装置で、どこか固定の空間ではなく様々な場所へと舞台が映る。同じペンション内でもリビングだったり個人の部屋へと変わる。さらに記憶の中の場所のような表現もあるので終始ふわふわとした感覚を覚えた。
閉ざされた空間での連続殺人事件ものでありながらポップな歌謡曲によるミュージカルシーンありと舞台全体を走り回る熱量高めでもありながら微妙に力が抜けた絶妙なバランスを維持している作品で捉えどころがない。
謎解きがされるカタルシスがあるわけでもない、結構な数の謎が謎のまま残されている。結局、月極セイラという存在がなんだったのか、登場人物たちにも曖昧なまま、不穏な空気だけが残された。肩の力が抜けた不穏といういままでになかなかみたことない力加減の作品になっている。
王道の展開を守っているようで外れているようでちゃんとしているかと思ったらやっぱり外れているように見える、という本当に不思議な作品だった。
ミュージカル(?)シーンは役者陣の技量もあってとても楽しかった。セイラ以外の役者さんたちもレベル高く安心して観られました。
好き嫌いが分かれそうな作品だけれど自分はとても好きでした。
===公演詳細===
dr-madboy.tumblr.com より
期間 | 2018/10/03 (水) ~ 2018/10/08 (月) |
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劇場 | スタジオ空洞 |
出演 | タナカエミ(Dr.MaDBOY)、碧さやか(傘碧舎/ウッカリたらりら)、菊池たまみ、佐藤来夏(スマッシュルームズ)、しまおみほ、永野百合子(妖精大図鑑)、畑中実(ミラクルパッションズ)、林廉(劇想からまわりえっちゃんひよこ)、福本剛士、藤本稜太、ポポタマス |
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脚本 | 守利郁弥 |
演出 |
守利郁弥 |
スタッフ | 照明 黒太剛亮(黒猿) 音響 柴野太朗 衣装 倉橋舞(気持ち悪い研究会) 舞台監督 中塚ゆい 制作協力 黒沢たける |
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タイムテーブル | 10月3日(水) 19:30☆ 10月4日(木) 14:00☆/19:30☆ 10月5日(金) 14:00☆/19:30 10月6日(土) 14:00/19:30 10月7日(日) 12:30/17:00 10月8日(月・祝)12:30/17:00 |
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【鑑賞記録】原作の雰囲気をうまく表現しているものの・・・『響 HIBIKI』
欅坂46の平手友梨奈さん主演の映画『響 -HIBIKI-』を観てきました。
土曜の夜遅い時間だったのですが半分近く劇場は埋まっていた印象。
あらすじは下記のような感じ
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スマートフォン・SNSの普及により、活字離れは急速に進み、出版不況の文学界。そこに現れた一人の天才少女、彼女の名は『響』(平手友梨奈)。
15歳の彼女の小説は、圧倒的かつ絶対的な才能を感じさせるもので、文学の世界に革命を起こす力を持っていた。文芸誌「木蓮」編集者の花井ふみ(北川景子)との出会いを経て、響は一躍世の脚光を浴びることとなる。
しかし、響は、普通じゃない。彼女は自分の信じる生き方を絶対曲げない。
世間の常識に囚われ、建前をかざして生きる人々の誤魔化しを許すことができない。
響がとる行動は、過去の栄光にすがる有名作家、スクープの欲だけで動く記者、生きることに挫折した売れない小説家など、様々な人に計り知れない影響を与え、彼らの価値観をも変え始める。
一方、響の執筆した処女作は、日本を代表する文学賞、直木賞・芥川賞のダブルノミネートという歴史的快挙にまで発展していく。
(公式webより映画『響 -HIBIKI-』公式サイト)
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先にどハマりしてしまった『累(かさね)』と良くも悪くも比較して観ていた。
あらすじを読むと分かる通り、圧倒的な才能を持つ主人公である鮎喰響(あくいひびき)を中心としてその周囲が右往左往しながら影響されていくという物語。
土屋太鳳さんと芳根京子さんのW主演で見事な傑作になった(少なくとも自分はそう思っている)『累』が才能と野心を武器に主人公が険しい山を登っていくような物語。それに対して『響』はどっしりと構える険しい山それ自体が主人公のよう。
『響』は主人公が誰かに認められたい、脚光を浴びたいみたいな他者が関連する野望を持っていない。響のまわりにいる登場人物(文芸部の仲間やライバルにあたる小説家)が響に影響されて右往左往して変化していく。
主人公を演じる平手友梨奈さんも原作の雰囲気をうまく演じていて映画化するにあたっての主人公としては最高の出来だった。
ただ、映画としての仕上がりは微妙な点が多い。
先に書いたように主人公その人はあまり変化や成長をしない、ブレず媚びず自分の道を進んでいく。変わるのはあくまでその周囲なんだけど複数の人物の割と短いエピソードが交代で繰り広げられており、2時間の尺を使う意味があまりなかった。これが連ドラとかならまだなんとかなったのかもしれない。原作の漫画も中くらいのエピソードをつないでいるおり2時間の映画にするにあたっての脚色がうまくいっていない印象。
特に物語の一番最後でクライマックス的に使われる小栗旬さんのエピソードは演技力も相まって面白くなりそうなんだけれど、そもそも本当に最後のタイミングまであまり主人公に絡まない。それゆえ物語も盛り上げたいんだか盛り上がりたくないんだかよくわからないテンションで終わっていた。(最後のセリフ含め雰囲気自体はとても好き)
一番問題だと思ったのが、北川景子さん演じる担当編集者。一番主人公に近い位置で振り回されて一番影響を受けそうな登場人物なのだけれど、そもそも彼女がどんな人で響と接していて何を感じて考えているのかがわからずとても浅い印象しかない。
アヤカ・ウィルソンさん演じる凛夏はその点、圧倒的な才能を持つ響に戸惑い、それを乗り越えようとするのでとてもいいのだけれどエピソード自体は中盤過ぎくらいで終わってしまう。
原作では割と見せ場がある幼馴染の涼太郎(板垣端生さん)に至っては、ほぼ空気でなんのためにいるのかもはやわからない。
比較に出した『累』も割と主人公周りの登場人物は存在感がない人の方が多いけれど、圧倒的な主人公が突き進んでいく様子とその結果たどり着いた結果をきちんと描いていたから、弱点は多いものの凄い作品に仕上がっていた。
『響』は総じて、主人公の平手友梨奈さんは堂々たる振る舞いで演出や撮り方もそれをうまく引き立てていた(目のアップとか特に好き)けれど映画としてストーリーを進めていくにあたって本当に注目すべき周りの登場人物の描き方と構造が適切ではなかった。
いっそのこと響とは別の物語上の主人公をもう1人設定して(編集者やライバル小説家)、そこから見た響という描き方にすれば映画としてうまくまとまっていたのではなんてことを思う(きっとそういう案もあったのだろうけれど)。
小栗旬さん演じる努力がなかなか実らない小説家の嫉妬や、北川景子さん演じる編集者の「作り手になれなかった」者の抱える絶望とか、アヤカ・ウィルソンさんの親の名前で売り出されることになる葛藤とか集中すればもっと深いところまで描けたはずなのに全部をまとめようとすることで中途半端になっている。
あと、小説という題材である以上、難しいのだけれど響が生み出した作品の凄さがなんなのかあまりよくわからない。また比較してしまうけれど『累』では圧倒的な演技をスクリーン上で表現できているのでその点でも『累』のほうが強く印象に残ってしまう。
出来上がった後で外野がとやかく言うのは野暮なのはわかっている。ただ、個人的には映画として出来とは関係なく、好きなところも多い作品なので、もったいないと思ってしまった。
平手友梨奈さんは欅坂の楽曲なんかで知っている程度で、演技をちゃんと観たことはなかったけれど、堂々たる主役でした。アヤカ・ウィルソンさんを観るのは『パコと魔法の絵本』以来だったけど笑っているのに憂いを感じさせる影のある演技で素晴らしかった。柳楽優弥さんのあの嫌味ったらしさ全開の田中の響との絡みはもっと観たかった。昔売れていた小説家こと鬼島(北村有起哉さん)もテレビコメンテーターにいそうな軽薄な感じが出ていて良かった。
そんな感じで脇を固める人もしっかり描けば主人公の響ともう1人だけで充分傑作になっただろうにとても惜しかった。
一話一話で完結できる連ドラの方が原作との相性はいいはずなので連ドラ化希望です。
(原作漫画:登場人物の持つ雰囲気をうまく映画化しているのが原作を読むとわかる)
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【鑑賞記録】ラストのドヤ顔が必見『クワイエット・プレイス』
「音をたてたら、即死」のキャッチコピーが印象的な『クワイエット・プレイス』を観てきました。
物語を盛り上げるためにちょっと都合よい設定が多い印象もぬぐえないけど、ラストの反撃手段をみつけたエミリーブラントのドヤ顔を観るだけで大満足の一本でした。
舞台は、謎の侵略者によって支配され荒廃した世界。
そんななかで生き残った夫婦とその子供たちからなる一家が中心となりストーリーが進んでいく。
侵略者は音に反応して攻撃してくるため、絶対に音を発さないよう生きていくことを強いられる。
「音を立ててはいけない」というルールを設けることにより、映画全体に最初から最後まで緊張感が漂いっぱなし。なにしろ会話はもちろん、なにかを落とした物音にも反応して、どこに潜んでいるかわからない侵略者たちが攻撃しに来るものだから生きていくだけで緊張を強いられる。
足音を立てないように裸足で移動したり、会話は手話だったり、警戒状態になったことを光で表現したりと音をたてないような工夫が随所にみられてそういう細かい設定を観るだけでも楽しい。
ルールをひとつ加えるだけで世界の見え方とあり方が変わることをうまく活用している。
具体的に恐怖の対象を明確に見せず、「音をたててはいけない」ことから生まれる緊張感を持ったまま前半で世界観と状況をうまく説明して登場人物へ感情移入へと導く。後半ではそんな状況と葛藤を活かしたアクションがメインのパートへと移行し、ラストでは究極のドヤ顔へと着地するとてもきれいな構成。
ただ、気になるところも結構あって、侵略者(バイオハザードシリーズのモンスターであるリッカーぽい)があんな敏感な耳を持っているなら心臓の音とか聞き分けられるのでは、とか釘の伏線があまりにもわかりやすかったり、物語を盛り上げるためにちょっと都合よい設定が多い印象もぬぐえない。
ただ、穴が多いものの「音を立ててはいけない」世界で生きる一家という設定の面白さそしてなによりラストの反撃手段をみつけて「これでやつらを根絶やしにできる」的な嬉しそうな顔をしているエミリーブラントの嬉しそうなドヤ顔を観るだけで大満足。
【観劇記録】『野がも』アマヤドリ
アマヤドリの『野がも』を花まる学習会王子小劇場で観てきた。
「アマヤドリ」は広田淳一さん率いる東京の劇団。2001年に前身となる「ひょっとこ乱舞」時代から数えればかなり長い期間活動されているし、これからも東京の演劇界の最前線で戦い続けるのだろう。
作風は集団で舞う、群舞なんかを交えつつも基本はストリートプレイ。
劇場に入った瞬間から、どこにも似ていない空間と作品。アマヤドリにしかアマヤドリの作品は作れないと思うばっきばきに尖った劇団だと思っている。
そんなアマヤドリが定期的に古典戯曲に挑戦しており、今回はイプセンの『野がも』に挑戦するとのこと。
『野がも』は何回か観たことがあったのだけれど、古典特有の言い回しや上演時間の長さなんかで集中できず面白い上演を観たことがなかった(不勉強なだけですが)。
話を乱暴に要約すると
グレーゲルスという青二才が「みんな正直でいれば、最初ちょっと辛いけど、そのあとみんなハッピーだよ!」と正義感と善意の押し売り強盗をやらかして、秘密はあるものの幸せに過ごしていた父、母、娘の3人家族を木っ端微塵に破壊してしまう
歴史に名を刻む天才作家がその才能を遺憾無く発揮して、丁寧に登場人物を不幸のどん底の向こう側までぶっ飛ばす戯曲。
今回のアマヤドリの『野がも』を観て、あの戯曲からこんな作品になるのかと驚いた。
上演時間170分もある会話劇なのだけれど話がだれないし、それぞれの登場人物の感情が強烈に感じることができる。
簡単に言うと「めちゃくちゃ面白かった」
古典の上演だと著名な演出家や役者の公演でもコスプレして台詞覚えた喋ってるだけじゃん!みたいに思うことも少なくない。
だけど、アマヤドリの『野がも』は130年前に書かれた戯曲なのに身に覚えがあって、自分の嫌なところを見せられているようなドロドロした感覚があった。
会話劇なのに舞台全体をダイナミックに行き来し、立体的で広々としているのに圧迫感がある空間が立ち上がっている。
人間の情けないところを容赦なく描きつつ、それを別に断罪なんかせずにいて、登場人物が人間になってそこにいるように感じられた。
古典を観るときは、なんだか小難しいことを考えながら観なければいけないという思いがあるのだけれど、アマヤドリの『野がも』は戯曲の面白さを役者の身体と演出を通じて存分に引き出していた。
この面白さって別に学がない自分のような人間でも(知識があればもっと面白いのだろうけど)感じられる。
戯曲に描かれる人間とその関係性を役者の身体と装置を使って立ち上げる、それをシンプルにものすごいレベルでやってのけるアマヤドリをこれからも追い続けます。
『野がも』は10月1日まで花まる学習会王子小劇場で上演しています。
(公演情報:公式webより)
amayadori.co.jp/archives/10805
『野がも』
作 ヘンリック・イプセン/翻訳 毛利三彌/上演台本・演出 広田淳一
《キャスト》
倉田大輔
渡邉圭介
中野智恵梨
相葉るか
一川幸恵
宮崎雄真
(以上、アマヤドリ)
東理紗(ピヨピヨレボリューション/東東東東東))
山森信太郎(髭亀鶴)
梅田洋輔
内山拓磨
大原研二(DULL-COLORED POP)
《スタッフ》
作・演出 広田淳一
舞台監督 都倉宏一郎
舞台美術 中村友美
照明 三浦あさ子
照明操作 野口瑞貴
音響協力 [東京公演]田中亮大(Paddy Field)/[伊丹公演]あなみふみ
衣裳 村川あかり
文芸助手 稲富裕介
宣伝美術 山代政一
制作 桜かおり
演出助手 木村恵美子/野村春香/秋田満衣/石田麗/藤家矢麻刀
撮影 赤坂久美/bozzo
企画製作 アマヤドリ
主催 合同会社プランプル
提携 伊丹市立演劇ホール[伊丹公演]
協力 せんだい演劇工房10-BOX/花まる学習会王子小劇場/株式会社CRG/A-Team
株式会社エヌウィード/株式会社リベラス/株式会社CRG/DULL-COLORED POP
髭亀鶴/ピヨピヨレボリューション/スターダス・21
【鑑賞記録】『ザ・プレデター』人の命が特売セール状態
『ザ・プレデター』を仕事帰りに観てきた。
『プレデター』は第1作の公開が1987年。まだ生まれていなかったのでリアルタイムで観てはいないのだけれど、小学生だった時に図書館で貸し出していた(凄いものを置いていてくれた図書館に感謝)のを家で鑑賞した時にあまりの衝撃にそれから小学校で布教を開始。週に一回はクラスで一番大きなテレビを持っている友達の家に集合し鑑賞会をやるという小学校時代を過ごした。
お話を雑に書くと、高度に進化した地球外生命体が儀式だったり観光で地球にやってきてお手軽に人間を狩る。姿を消せる光学迷彩だったり、自動照準で破壊力抜群のバズーカを持っているかと思えば手裏剣や剣(みたいなもの)で肉弾戦を繰り広げる。頭がいいんだか悪いんだかさっぱりわからない。
今考えると、どうかしている設定だけれども小学生にとっては夢に出てくるくらい恐ろしくてかっこよかった。そんな地球外生命体をボコボコにしてしまうボディビルチャンピオンにさらに夢中になるのだけれど、それはまた別のお話。
それから時が流れてまさかアラサーになってまでプレデターとの付き合いが続くとは当時の自分は思いもしなかっただろう。
第1作がヒットした後、続編だったりエイリアンとのコラボ作品が作られたり漫画化されたりとプレデターは大活躍。
ただ、恐怖の大部分は「正体がわからない」ことに大きく起因すると思っていて、1作目で恐怖の対象とされていてもそれ以降は正体がバレているのでどうしても恐怖の対象になりずらい。
日本でいうと『リング』で貞子が日本中を恐怖に叩き込んだけれど最近では3Dで本当に飛び出してきたり、ハロウィンでのお手軽コスプレ対象にされたり、ほかの幽霊(?)である伽倻子と合体させられたり、アプリにされたりすっかりキャラ化してしまっているのと似ている。
『ザ・プレデター』では監督のシェーン・ブラックが「プレデター本来の恐ろしさを描きたい」とインタビューで語っていたし、予告編でも必死に「真面目なアクション映画」風な描き方をしていた。
シェーン・ブラックの他の映画を観ていたのに「どんな恐ろしい映画が観られるのか」と胸をときめかせてしまっていた。
恐怖を期待していったら、爆笑の連続の俺たちが自慢されたいザ・アメリカ的な景気のいい映画に仕上がっていました。
登場人物全員が(プレデター含め)信じられないほど仕事が雑だし、いいやつでした。
突っ込んだりイライラしたら負けになるという構造で真面目に観ると損をしますが、ポップコーンでも頬張りながら観れば映画館を出る時にはきっと体調が良くなります(個人の感想)。
人の命が羽根のように軽くて苦悩とか葛藤という言葉をどこかに置き忘れたハイな物語が展開。完全武装の正体不明の異星人に仲間を殺されたりしたら普通怒ったり恐怖に駆られたりすると思うのですが、ザ・アメリカ人の登場人物は下ネタを叫びながらみんなでバスで追いかけるし、バスを破壊されたら無駄にかっこいいバイクでさらにハイテンションで追いかける。宇宙船のエンジンに笑顔で突っ込むわ、敵であるプレデターも超ハイテクな武器を持っているわりには素手でボコボコにしたり、わざわざ飼い「犬」で追い詰めたり、敵も味方も漢気に溢れる活躍を見せる。
秘密組織はじめとした登場人物たちの頭の悪さだったり、プレデターが実は地球を侵略しようとしていたとか、後付けにもほどがある設定だったり欠点をあげればきりがない。
この作品に激怒している人が結構な割合でいるみたいだけれどそれも納得。
だけれども、なにかを守ろうと父親が必死になって成長する姿にほろりとし、近年稀に見る人の命の軽さと軽快なノリに仕事のストレスから解放してもらった自分からすれば大満足の一作でした。
あのラストから次作につながると次は完全にコメディ映画に分類されそう(観てみたくはある)
【鑑賞記録】『累』を観たら主演の2人が素晴らしすぎてぶっ飛ばされた
土屋太鳳・芳根京子が主演の映画『累』を観てきた。
原作の漫画は未読だったし、予告編を観た時は微妙に思ってスルーする気だったのだけれど↓の動画をたまたま見て引っかかるものを感じたので行ってきました。
結論から言うと、すいません。舐めてました、ぶっ飛ばされました。
予告編で感じた、ちょっと微妙かも知れない、と思ったところは割と当たっていてやたらと主人公が叫んだり出てくる登場人物があまりにも記号的だったりする(出てくる演出家とか悪い意味で漫画的だった)。ただ、そんなマイナスポイントをプラスポイントに変えてしまうくらい土屋太鳳・芳根京子コンビの演技が凄まじかった。
顔に醜い傷を負った天才的な演技力を持つ累と圧倒的な美貌を持つが凡庸な演技力しかない女優ニナの2人が主人公。
そんな2人が不思議な力を持つ口紅の力で顔を入れ替えることができるようになり、累の演技力とニナの美貌で名声を高めていくのだが、というお話。
よく漫画や小説では「聞くと誰もが心を奪われてしまう音楽」とか本作のような「誰もが息をのむ圧巻の演技」という表現が出てくる。それを実写化しようとするとまぁ大変だろうし、実際山のように微妙な作品が積み重ねられてきた歴史がある。
ただ、本作の「誰もが息を飲んでしまう演技」を実際に表現できているのだからこれだけで歴史的傑作と呼んでいいのではないか。
最初は焦がれていた男に認められるという動機で累を利用しようとしたニナだけれど、他人から賞賛されることの快感を覚えた累が徐々に女優としての業を深めていき、逆にニナが利用されていくという構図が凄くコンパクトながら的確に描けていた。
ニナが特定の誰か(ここでは恋していた若手演出家)に受け入れられることを目指していたのに対し、累は特定の誰かに認められることを志向してはいない、それ故にその欲望には終わりがない。
満たされることのない欲望を満たすため、その技を磨いていった結果のクライマックスの土屋太鳳の美しさと恐ろしさ。あの瞬間を残せただけでこの映画は後世に語り継がれるべき作品。
芳根京子さんも完全に別人格が宿っているようにしか見えない。あれだけの演技の豊かさを見せられたらもう褒めるしかない。
ただ、不満も割とある。以下、箇条書き
◯顔の傷はあくまで醜さと累の劣等感の象徴としてあるのであれくらいのバランスでいいと思うのだけれど、映画全体の画が抽象的にやりたいのか現代的にやりたいのかどっちつかずになっている。これくらい話の強度があれば思いっきり時代性を排除してしまえばよかった。
◯シーンによって、なんでそんな間抜けに見える配置にした、とは中途半端なところから撮ってるよなぁ、とか演出面で単純に上手くない箇所が多かったのが残念。主演2人の熱演がなければ凡作になっていたはず
◯浅野忠信さん演じるマネージャーが累の母親の話をし出すタイミングが脈絡がないし、彼がやりたいことはわかるけど、わりとスタンスがブレて右往左往している。コントロールしていると思っていた累とニナにいつのまにか驚愕してしまうとかの描写があれば良かったのだけれど、自由奔放なふたりにバタバタする人、くらいの印象になってしまったのが残念。
◯『サロメ』の話は確かにストーリーを把握していた方がその後の展開の理解の助けにはなるのだけれど、急にバラエティーみたいなテイストになって笑ってしまった。もう少しうまく説明する方法あっただろうに。。。
まとめると、映画全体として凡作になる恐れがあったところを土屋太鳳と芳根京子という2人の女優が救うどころかすごいところまで作品のレベルを持っていった、
「映画としてはつまらないけど役者は頑張ってた」っていう評をよく聞くけど、本当にいい役者は作品を救うことがあるんだな」と気付かされた作品。
原作も読んで再度観に行きます